ある漫画を読みたいと思ったとき、その漫画を買いたいでしょうか。それとも漫画喫茶やレンタルなど、一時的に読めるサービスで済ませるでしょうか。
ぼくは、できれば買いたい。自分で所有したいからです。
漫画だけじゃなく本やゲームも、人から借りているのではなく自分の物として所有したい。それは使いたくなったときにすぐ使えるということを重視しているのだと思います。
そして、物だけに関わる話ではありません。目に見えない、例えば技術に関してもそうです。ぼくは作曲をしていますが、良い曲を聴くとジャンルを問わず「そういう曲を作ってみたいなー」と思ってしまいます。技術も自分で所有することを望みがちです。
そこでふと疑問に思いました。
ぼくは「どんなシチュエーションにおいても、所有していないよりも所有してる方が良いことだ」と無意識に思っていましたが、それは本当なのか、と。
今回は、所有することによるデメリットに焦点を置いて、記事を書いていきます。
所有することのデメリット
いつでもできるから、今やらなくなる
ぼくはゲームが好きで、周りにもゲームが好きな人は多いのですが、中には好きが高じて「積みゲー」をする人がいます。
「積みゲー」とは、ゲームを買ったのはいいものの、封を切っていないものがどんどん積まれていく様を表した言葉です。
なぜプレイせずに放置されてしまうのか、それはいつでもできるという安心感が要因だと考えています。
これが例えばレンタルだとどうでしょう。(ゲームのレンタルというのは聞いたことがありませんが、例え話のため、そういうものがあると仮定して…)
ゲームをレンタルすると、レンタル期間内にクリアしないといけなくなるので、どうしてもプレイしたいゲームは今すぐ取り掛かることでしょう。そして、そこまでじゃないなというゲームはそのままプレイせずに返却します。そもそもレンタルすらしないかもしれません。
持ちすぎる事は、身と心を圧迫する
ゲームには、ソフト版とダウンロード版があります。ソフト版のゲームを積みゲーすると、自分のスペースをどんどん圧迫します。
ダウンロード版はどうでしょうか。デジタルデータとして所有しておけば、現実世界のスペースを圧迫することありません。しかしデジタルデータは必要以上に所有することで、現実世界ではなく、自分の心を圧迫することがあるのではないでしょうか。
ぼくはアナログ・デジタルにかかわらず、ものを過剰に所有することで、考え方の柔軟性が落ちると考えています。
考え方の柔軟性が落ちる
人間は、すでにお金や労力を払って手に入れたことに価値を感じやすいです。これは、サンクコスト・バイアスと呼ばれる心理です。
ものを大切にする事は素晴らしいことですが、お金を払ったからという理由だけで、本当は自分に必要のないものまで大切に所有することにはデメリットがあると思います。
例えば、
- 面白みを感じない漫画でも、買ってしまったから最後まで読もうとする。
- とあるアプリを買ったのはいいものの、今の自分には必要のない事に気づいたとき、それでも何とかしてそのアプリを使う方法はないか考える。
という行動を選択した時。
物を持つことによって行動の幅が広がるはずが、払ったお金の分の価値を回収しようとしすぎて、行動が物に引っ張られてしまっています。
もちろんその考え方で決めた行動が正しいこともあるのですが、普通はするべきことが本質からずれてしまいます。
所有が固執につながる可能性
この、所有していることによって行動の選択が偏ってしまう問題ですが、技術を所有している場合に関しても同じことが言えます。
- 学校でこの勉強してきたから、それが生かせる仕事につかなければならない。
- ずっとこういう作曲法でやってきたから、それが多少古い方法であっても使い続けていきたい。
技術を所有するためにかけた時間と労力をもったいなく感じることで、自分の持っている技術に固執し、成長する機会を失ってしまうことがあるかもしれません。
自分にとって本当に大切なものだけを所有し続ける
デジタルの技術が発展したことで、欲しい漫画や本・ゲームなどが、購入した瞬間に手に入れることができるようになりました。
ものをとても手軽に手に入れられるのは便利な反面、その手軽さは自分に本当に必要なものは何か考える機会を少しだけ奪っているようにも思います。
ただ、購入してみないと自分に必要なのかどうかはわからないのも事実です。
そこでぼくは、ものを買いすぎることではなく、ものを所有しすぎることを問題だと認識して、自分の考え方を見直していくことにします。
自分の身の回りを見渡してみても、本当は必要ないのに手放せずにいるものがたくさんあります。この機に1度、自分が持っているものを振り返り、いらないものは思い切って捨ててみようと思います。